作品No.9
【鶴橋国際商店街】
終戦直後の日本。政治、経済に混乱を極め生き残りを懸けた時代(1945年)の大阪最大の「闇市」、「鶴橋」界隈です。省線、後の(JR大阪環状線)近鉄電車のターミナル駅で他国人種・・が入り混じった大変賑やかな地域でした。その中でも特に韓国の方が多かったようですね、今でもその名残は多くあります。当時、この地域ではあらゆる食材があふれる闇市でもあり、大阪人の一大台所でもありました。怪しい物もありましたが、空腹を満たすためにも競って買い求めたものです。でもとても美味しかったと当時を思い起こす人も多くいます・・・
絵にある、倉敷ビニロン・・懐かしい生地名ですな。当時学生服は木綿の生地で出来ており、とても重かった記憶があります。雨に濡れた上着は更に重く感じ、とても皴になりやすく、おまけに乾きにくく苦労したものです。当時新しい生地として(ビニロン)(ナイロン)(テトロン)等が発明され、特にビニロンは皴になりにくく、軽量で艶もあり雨にも強いと、新素材のパイオニアでもあり、特に学生服には最適ではなかったでしょうか。でも当時は木綿の学生服よりずっと高価で「ビニロン学生服」がステータスでした・・・学校でビニロン学生服を着た同級生が羨ましかった・・・
石鹸卸問屋ですか・・当時化粧石鹸として「ミツワ石鹸・牛乳石鹸」等々、洗濯粉石けん・固形洗濯石鹸・業務用粉石けん種類はあまりなく、質もよくありませんでした・・でもとてもよく売れていたようです。
昔の鶴橋国際商店街・・国際的で大阪人らしい名称でええですなぁ・・(鶴橋闇市商店街)・・・今でも名残深い面影が残っている鶴橋界隈の商店街です。・・・昭和の鶴橋バンザイ。
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